出産の形     私が"体験"した出産  更新

今の日本では典型的には赤ちゃんは産後直後は授乳室へ一旦預けられますね。一応お母さんを休ませるという理由で。これっていったい本当に意味があるのでしょうか。

私が立ち会った出産は二度ありました。最初のときは最初の妻の出産で、これは水中出産で私も一緒に入らせてもらいました。もともと元妻はそういうのが好きで自然分娩派でしたので、産婦人科もそういうところでした。出産自体が”超”がつくぐらい安産だったのですが、とても貴重な体験をしました。これについてはWebページにしてあるのでいつかリンクを張りたいと思います。子供は出て来てきた瞬間から退院するまでずっと母親と一緒でした。そのときは全然何も考えませんでしたが、今になってみるととても大切なことでした。ただ、同時に多少の問題点もわかりました。二番目の出産で感じた矛盾はここではまったく無かったのですが、授乳の問題がありました。つまり、多くのお母さんは出産と同時にぴゅぴゅとたくさん出てくるわけではないのですね。子供が出てくると親は「親としての自分」を評価・意識せざるを得ませんが、授乳がうまく行くかどうかはやはり母親にとっては非常に切実な問題で、元妻は最初はなかなか出ませんでしたし授乳自体もなかなか痛かったのでした。最初から母子同室で完全母乳となると、「お乳がうまく出ない」というストレスが出産直後から母親にのしかかります。看護婦さんの適当な指導があれば良いのですが、痛かったときにただ「我慢しなさい」だけでは精神的に負担になるばかりです。母子同室は絶対に必要ですが、精神的な負担になってはいけません。「母乳なんてそのうち絶対にうまく出るようになる」というオキラクな展望と、「止むを得ない時はミルク」という考えも必要です。母子同室といっても、授乳や睡眠を全部母親に任すのではなく、たまには開放してあげることも必要です。しかし、次に述べるように「母親を休ませる」という意味で出産初日は母子別室という現在の典型的な病院での扱いは完全に間違いであると思います。(このときは私も出産時から退院まで毎晩泊まって家族同室でした。)

二度目の結婚で、現在の妻の出産は予定日まで極めて順調だったのですが、骨盤が狭いという潜在的な問題と、それが原因かはわかりませんが胎児があまり降りてこなかったということで、急遽帝王切開になりました。事前にその可能性があることも一切言われたいなかったので、精神的になにか壁に体を思いっきりぶつけたようなショックがありました。手術や子供はまったく順調に出てきたのですが、母親の回復がかなり遅れました。この病院の扱いは非常に典型的だと思いますが、普通の分娩では翌々日から母子同室、帝王切開の場合は4日間母子別室となります。生まれた子供は例のバカみたいな、まるで展示場でディスプレイされているようなガラス張りの新生児室で、けっこうしょっちゅう泣いています。自分の子供が泣いているのに抱き上げてやれずただ見ているだけというのは、この世で最大にバカげていることのひとつです。僕は自分の中で怒りとやるせなさが渦巻いていくるのを感じていました。妻の状態はあまり良くなく、やはり急遽(事前に何のまえぶれもなく)帝王切開になったことが精神的にもショックになっている感じでした。自然分娩できなかったことに対して女性としての自分に対する自信も揺らいだせいもあると思います。僕はとにかく子供を出来るだけ母親といっしょにいさたいと思ったので、妻に「(やさしような)看護婦さんが来たら出来るだけ赤ちゃんに会いたいとお願いしろ」と耳打ちして置きました。そのときは妻はまだ歩行すら出来なかったのです。でなんとか術後3日目から昼だけ母子同室にしてもらえました。妻の表情はその日から突然本当に見違えるように変化しました。どの看護婦さんも驚いていました。もっと早くこうしてあげればよかったと後悔しましたが、子供は親にとても大切なエネルギーを与えるのです。とくに出産直後の親は子供と一緒にいることによって出産のダメージから回復できるように子供から大事なエネルギーをもらうように出来ているのです。本来子供にとっても経膣出産の場合は母親と一緒にいることがダメージを回復させるのだと思います。そのときに僕はこの重要な真理を肌で理解しました。

僕の考えている理想的な状態

◎産後は昼間はその直後から母子は同室。子供は出産で疲労した母親が回復できるように重要なエネルギーを与えてくれるのです。もちろん、母親が希望すれば終日同室が望ましい。

◎授乳は最初からはうまく出来ないことを前提として指導し、精神的な負担にならないように十分に気を配る。ミルクを使うことも悪いことととしない。

うちの子はその後とても順調に育って、病気らしい病気もせずにとても元気です。母乳は入院後半から出るようになって、今では母乳オンリーです。少し別の視点になり、また別のページにしたいですが「子供は必要なものは全部持って生まれてくる」「親は自分で母親や父親になるのではなく、子供に母親や父親にしてもらうのだ」と言うのもこれと関連して重要な視点です。母親は生まれてきたばかりの子供と一緒にしてその時から母親にしてもらうことを始めるのです。(この病院では僕は二晩泊まったのですが、三晩目に泊まろうとしたらケンモホロロニいやな顔をされて断られました。一番目の病院ではWelcomeだったのに・・・。)
 

今週(2002.6.12)の月曜日だったかちょうどテレビで自宅出産の番組をやっていましたね。なかなかすばらしかったです。旦那さんもそうなのですが先に生まれたお兄ちゃんが「どうなっちゃうの・・・」というとても不安げな感じでいたのが印象的で、本当にこういう体験を通じて家族の愛情とか絆が出来てゆくのだろうなと思いました。病院では出来ないことですね。僕にとって個人的に驚いたのは、赤ちゃんの臍の緒って生まれたからしばらく血流がちゃんと脈打っているのですね。とても新鮮な驚きでした。解剖生理学を勉強すると出てくるのですが、人間の心臓は生まれてくるときに大変換が起こるのですね。母体にいるときは肺胞がつぶれていて機能しませんが、そのために右心房からは肺を通らずに直接左心房へもどるシャントというバイバスがあるのですね。生まれてきて肺胞が開くときに、このシャントが自動的に?閉じて肺に血液が循環するようになるのです。また臍の緒へ血液が行くのは膀胱近くの動脈からで、戻ってくるのは肝臓(門脈)の近くですが、この経路が閉じて臍の緒の脈動がなるなるのですね。こういうプロセスが自然と起こるのを目のあたりにしたのは感激でした。「臍の緒ってすぐ切らなくいいんだって」っていう単純なことですが、あまりに人為的になってしまった出産の知らなかった事実でした。生まれてきた赤ちゃんを見ていたら涙が出てきてしまいました。

私が"体験"した二つの出産  当時書き残した文章です。 別の妊婦さんです。
1997年7月25日 午前1:55、女子、2450g
水中出産、自然分娩

(2年前のことを思い出して書いているので少しあやふやなところもあります.)予定日は27日で、出産は25日の午前1時55分ごろでした.24日の朝から弱い陣痛が始まりました.出産経験者がそばに全くいなかったので、いつどうしたら良いか良くわかりません.とりあえず入院の準備をして豊島産婦人科までタクシーを飛ばします.診察の結果は「まだ」ということでした.この後の判断はきっと聞いた人によって違うのだと思いますが、ちょっとこわめのおばさん看護婦に「家帰りなさい」といわれてそのまま帰宅.

帰宅後は、まだそれほど陣痛が強くならず夜まで比較的平穏でした.夜10時ごろ、これから寝ようかとしていると、本格的な陣痛が始まってきました.一度追い返されているので、「いつ病院へ行ったら良いのか」の判断がさらに迷います.妊婦様本人はかなり我慢したようで、11時半ごろ?「もうダメ」ということで、急遽タクシーを飛ばすことになりました.このときの妊婦様の状態はマンションの階段をなかなか降りれないぐらいでした.陣痛と陣痛の間に少しずつ階段を降りて行きました.

豊島さんについたのが12時ごろ?で、全く順調との診断で一安心。あとは生まれるまで時間の進みは覚えていません.水中出産ということで、丸い小さいプールにぬるいお湯を張ります.入りっぱなしにすると出産が進まない(理由は忘れてしまった)ということで、隣接のベッドで待ちます.一度プールへ入ってまた外へ出たりしました.そうしている間に外で破水になり、「プチって音がしたでしょ」って看護婦さんに言われたけどわからなかった.それからまたプールへ入りました.(お父さんはプールで妊婦様の体を支えているだけです。)

胎児が産道に入ってくると、心拍を拾う機器を水中へ入れて胎児の心拍を調べて負担が問題ないかモニターします.あとは陣痛毎に出産が進み、頭が見え始めてからは比較的早かったと思います.(妊婦様にとっては最も苦しい時間ですが.)頭がかなりで出から看護婦さんがひょいと引き出して、出産です.1時 55分.この間に使った医療機器は心拍モニターだけで、一切の薬や他の機器は全く登場しませんでした.完全な自然分娩でした.(水中に入ってしまうと、医療的には何も出来なくなるので安産でないと水中出産は無理です.)ほんとご苦労様でした.

○○の体重は2450gで、一律基準からすると未熟児体重ですが、単に母親が小さいからその様に生まれてきただけで、全く健康体です.もっと体重があったら上記のような安産にはならなかったでしょう.豊島産婦人科では生まれたその直後から母子は一緒で、そのまま親子3人で一週間病室で寝泊まりさせていただきました.その後の母親の育児管理が良かったせいもあるのでしょうが、○○はとってもエネルギーのある赤ちゃんで、病気もほとんどせず親としてはありがたい限りです.

 

 

[↑今、二つの文章を比較してみると長さも内容も自分が少し変化している気がします。→]

2001年6月12日16時32分、男子、3134g
帝王切開

簡単に書くつもりがなんだか>ヘビーな内容になってしまいました。普通の人には重過ぎるかもしれません。個人的な手記になってしまった。近くお産を控えている人は読まないほうがいいかも。

予定日は6月16日となっていました。妊娠発覚以来、特に大きな問題もなく、1月の結婚式も無事に終わらせることが出来ました。小さなトラブルはありましたが、すごいのは、○子は出産まで一度も風邪を引かなかったこと、そして毎年5-6月に苦労していた喘息が今年はまったくなかったことです。喘息が出なかった理由は不明ですが、○○○(環八の近く)から○○に引っ越してきたことがあるかもしれません。10月ころから,ほぼ毎晩、喘息に効果があるといわれる足のツボを押してきたこともまんざらではないかもしれません。

○子は身長が150cmに満たず、見かけとは違って(笑)骨盤が小さく、小さいままで産まないと大変だとはすでに医者に言われていました。6月4日 (月曜)の検診では、胎児の体重の見積もりが2500gで、そろそろ出ないといけないなぁ〜というので「早く出ろー」と呼びかけていました。お産が近くなると子供が下方に下がってきてお腹の形が変わるのですが、それが起こってきたのは週の後半です。日曜日に,軽いお徴があり少し陣痛もありました。月曜日も軽い陣痛が続いていて、検診では子宮口は1cmと言うことでした。で、多分明日だろうと言うことで楽しみにしていたのですが、火曜日(12日)の朝方に陣痛間隔が10分になったので、朝7時に入院となり、この時の子宮口は5cm。「おー、順調」と思っていました。しかし、昼、昼過ぎと経っても本格的に強い陣痛にならず、3時に診察室に呼ばれました。子宮口はこの段階でまだ6cmです。

この病院は○○にある産婦人科なのですが,ネットやいろいろな情報をみて決めました。院長はとっても温厚なおじさんなのですが、実験を握っている (?)女医さん(院長の娘?)は、感情をまったく表さない人で、顔はきつそうなタイプのですが、しゃべりは無感情にぼんやりとしゃべると言う不思議な感じ。その人が、レントゲンや各種データを「提示」して、「赤ちゃんが骨盤に対してぎりぎりの大きさ」、「赤ちゃんの下がりがまだまだ足りない」、「陣痛時に赤ちゃんの負担が出ている」と言う説明で、無表情に「帝王切開にしたい」とのこと。この時の推定体重は2800g。こういう無表情な人にデータを突きつけられてこういわれると、われわれ二人は本当になんだかエネルギーを吸い取られた感じで、何か壁に杭打ちにされた感じがした。こういうときの医者のお決まりの言葉の「大丈夫、心配ありません」も言ってもらえなかった。

で、手術はすぐに始めるという。今の今まで自然分娩で、立会いで出産の喜びをと考えていたのに。二人とも心の準備ゼロ。無言。何を話してよいかわからない。○子は診察室から直に麻酔台へ消える。分かれてから僕は少しエネルギーをもどして分娩室のドア越しに、「○○チャンがんばってねー。よろしくおねがいしまーす。」と声をかけたのが唯一出来たことだった。午後4時前に,なんとなく雰囲気で手術が始まった様子。よくドラマに出てくる赤いランプがあるものの、使ってない様子。もしあんなものが点灯したら僕は気絶していたかもしない。何せ、人の手術を待つなんて生まれて初めて。とにかく頭がおかしくなりそうだったので,安産のお守りを部屋に取りに戻り、握っていると少し落ち着いてきた。4時半すぎにこれまでにない赤ちゃんの声がして、「あれっ、もしかしてそうかな」と思っていると、看護婦さんが「男の子」ですよ,っと教えてくれた。とにかく泣き声が大きい。体重を測る様子はここから見える。とてもしっかりした赤ちゃんだとわかる。3134g、推定値の2800gより全然大きい。こんなに育ってしまったいたのね。帝王切開で良かったんだ,と強引に納得しようとした。僕はそのときに赤ちゃんを抱かせてもらった。非常にしっかりしている。

縫合にはさらに小一時間かかる。ガチャガチャガチャと多数の金属音は鉗子などを片付けている音で終わったのがわかる。ドア越しに分娩室(=手術室)を覗くと,○子が赤ちゃんを見せてもらっている。あ〜、無事だったと思った。これが5時45分ぐらいだったか・・・。

部屋に戻った○子はまだ朦朧としていて、よくしゃべれない。コードや管が沢山ついている。(1)心電図と呼吸のケーブルが一本(3端子)、(2)点滴の管が腕に、(3)尿採取の管、(4)鼻に入る酸素の管、(5)血中酸素濃度を測るセンサーを指に、(6)そして最後に血圧を測るカフという腕に巻きつくものがある。正直、正視するのは辛い。で、ぽつりぽつりと話し始める。よく覚えていないが一時間ぐらい経ったころか、手や体の痙攣が小さいながら始まっているのがわかる。止まらない。明らかにおかしい。で、ナースコールをする。途中で血圧(上の)が160台と異常に高くになっているのがわかる。モニターがあるのに誰も注意してなかったか、突然起こったか。僕自身は多分顔面蒼白だったろう。地獄の寸前の気分。こういうときは血圧を下げる薬を点滴系に入れる。他にも何か入れているようだったが僕にはわからない。こういうときは医療関係者以外は部屋から追い出されるのだ。で、血圧が下がってきた。下がりすぎるとまたとんでもないことになると言う不安一杯でモニターを見るも、正常値よりも少し下がりすぎてまた戻して、正常になった。

なぜこういう事が起こったかについては良くわからない。医者の立場の説明では「一種の妊娠中毒症の可能性もある。」つまり、妊娠中にむくみとして溜まっていた尿素が、当然腎臓の働きで排出されるのだが,手術中の麻酔のせいで、腎臓がお休みになって、尿素が溜まったままになったと言う可能性だが、でも術直後から尿はちゃんと出ていたのに・・・。

この騒ぎの後は,夜中までは順調だった。たまに痛みがあるものの、痛みと痛みの間には睡眠が取れるようになっていた。○子も「少し自分になって来た」と麻酔が覚めてきいた。次の地獄は夜中に、睡眠剤入り(?)の鎮痛剤を点滴した時から始まる。普通の睡眠剤なら「なんだか眠い」といって寝るモノだと思うのだが、何かおかしい。まず○子の目つきがこの世のものとは思えないほど朦朧としている。次に「ごっくんが出来ない」と訴える。つまり、舌や喉が麻痺してきている。そしてほとんどしゃべれなくなる。○子は「名前を呼んでいて」と言うし、さらに麻痺してくると「タ スケテ」の四文字をゆっくりという。こちらの声は聞こえている。さらに怖いのは、意識が「フッと」遠のいたときに、呼吸も戻ってこなくなるように見える。明らかに、舌や胸といった部分が麻痺?しているかんじ。鼻から酸素を入れているとはいえ、舌が麻痺して喉の方に落ち込んでいるので僕は怖いと思った。ナースコールをして、○子の意識が完全に落ちないようにたまに声をかける。血中濃度は下がっていないし、手首の脈もあるのだが、胸の近辺につけた電極から脈と呼吸を拾っているモニターは信号が取れないという表示を出している。何かが起こっていることは違いない。最初に来てくれた看護婦さんは機械に頼らずに、脈をチェックして、呼吸も浅いがあるのをチェック。そうしているうちに、薬が薄らいできたのか完全に「行ってしまう」ほど意識は切れないようになってきた。とりあえず大丈夫そう。で、例の鉄面皮の女医さんが到着。僕が何が起こったかを説明しようとすると、途中でさえぎって、例によって無感情にぼそぼそと「この鎮痛剤は眠くなるんです。」 僕はムッとして「僕は質問しているのじゃなくて何が起こったか説明しようとしているだけです。」と言った。お互い、理解はできない。結局、「この薬は合わない」という無難な共通認識で濁した感じだ。時間が経つと、○子も普通の正常な感じで眠くなってきて,呼吸も普通の深さに戻って来て眠りについた。もちろん、僕はその晩はモニターの数値をずっとみていた・・・。

翌日6月13日、意識は普通の○子に戻りつつあった。明け方、酸素ボンベがなくなったのを気に,鼻の管は取ってもらえた。まだ意識的に十分に脚を動かすことが出来ない。とにかく手術の跡を痛がっている。子宮は産後に収縮するが、一度切った部分が収縮するのだから痛い。動かすと痛いのもあるし、力が入らないのもあって自分で体が動かせない。床ずれ状態で背中や脚がしびれてきている。とにかくエネルギーがめちゃめちゃ落ちている。会話もぜんぜんもとない。昼過ぎにやっと白湯を飲ませてもらえる。会話もほぼ普通にできるようになってきた。赤ちゃんどころではないが,エネルギーを上げないといけないから,赤ん坊の写真をデジカメで撮って○子にみせるが、反応は期待したほどではない。自然分娩で産むつもりだったのが、突然帝王切開になり、その悔しさが大きく、まだ心の整理が全然ついていない感じだ。自然分娩できなかった自分に対する女性としての自信をなくしているのかもしれない。

午後は○子のお母さんに任せて、一度家に戻り、一時間ほど眠る。一人になる。これまでは100%不安だったので、逆に自分の不安を全部抑えきれてきたが、どうやら回復の兆しが出てきたので,その喜びの希望がこれまでの不安を一気に押し出し、涙と嗚咽が出てしまう。こういう感情は○子がほぼ回復したら,彼女に受け取ってもらおうと何とか押しとどめた。

病院に戻る。○子はまだかなり痛がっている。エネルギーも全然低いまま。とにかく泊まりの用意をする。昨晩使った折りたたみの簡易ベットが見当たらない。当直の看護婦さんに尋ねると、「泊まる必要はありません。」「こちらで面倒見ます。」と、何かこちらをものすごく蔑んだような視線と態度でトゲトゲしく言われる。怒りたい気持ちを抑えて「だって、まだ本人は自分で体も自由に動かせないのですけど。」と言うと、「では院長先生に聞いて見ます」と言われ、のんきな院長先生は「良いでしょ」で片付いた。一般に,以前から気が付いてはいたが産婦人科では男は敬遠されるのだ。これは多分他の女性の患者さんにとっては見ず知らずの男性がうろうろしているのだから、理解はできる。しかし、何か軽蔑したような対応をされるのはおかしな話だ。この看護婦さんには誠意を持って話したので、結果的にはちゃんと対応してもらった。一方、感情をまったく表情に出さない女医さんは対応のしようがない。

この13日の夜は、○子はまだかなりの痛みを訴えている。収縮がけっこうきている。それ自体は良いことなのだがとにかく痛い。加えてからだの力が出ない。いたむのを我慢しながら、やっと体を横向きにするのがやっとできるようになった。しかし、明日には尿の管を抜くので、自力で歩けないとトイレが出来なくなってしまう。それにはまだほど遠い。夕食後、とにかく起き上がって座るというのをやってみる。自力では無理だが、強引に起こしてみると、何とか姿勢は維持できる。少し進歩。その晩は,やはり痛みが強くてどうしても寝れないので(寝れないと言うよりも苦しんでる)、痛み止めを考える。このときは筋肉注射の痛み止めを打つ。これはかなり穏やかに効いて、眠れるようになった。しかし、○子の体は注射と点滴のあとがすごい。手術のために7本ぐらいは打っているし、良くあることだが下手な看護婦が点滴管うまく通せずに、何度も針を抜いたりさしたりして、傷を増やしてしまう。加えて、このような術後の筋肉注射の跡もある。しかし、この晩は何事もなく僕は日曜日の陣痛開始から、初めて4時間の連続した睡眠をとることが出来た。僕の方はこれで大幅に回復した。まだまだ若い?

6月14日(木)。朝方まで眠っていたようだが、朝食前後はまだ痛がっている。今日は尿管を抜いて歩かないければならない。それを何時行なうのかわからなかったのでたまたますれ違った院長に聞いてみるも「ガスがまだ出ていないからネ〜・・・」。何だ、決まっていないのかと思い銀行に行かなければいけないので,一時間ほど抜けて戻ってみると、○子はもう尿管を抜かれていて,「うまく動けないから、間に合わなくて出ちゃった〜よ」っとベッドに座ったままパニックになっているではないか。ナースコールしろと言われていたそうだが,早く行かないともれてしまうという意識でパニックになったようだ。「くっそ,院長に聞いたのが失敗だった」と悔やんでもしょうがない。とにかく痛みでウナッテいる○子を立たせてトイレまで付き添って行く。痛いのと力が出ないので、一歩に数秒かかる。何とか部屋に戻って、慣れさせるためにベッドの端に座ったままでしばらくいる。痛み止めに座薬を入れているそうだがそれでも痛い。座っているとすこしづつはしっかりしてきた感じだ。背中のツボ押しをやってあげていると,「立てて歩けた」という嬉しさが出てきて、昨日抑えていた感情が湧きあがってきて,そのまま○子の背中で泣いた。とにかく、あの手術と最初の夜の地獄からここまで来れて嬉しかった。

昨日、「明日立てるようになったら,赤ちゃんを抱っこさせてもらったら」と言ってあったので、○子が頼んでみると喜んでOK。(実はこの日の看護婦さんは非常にやさしい。)座ったままで,食事をとり休んでいると赤ん坊を持ってきてくれた。

○○(最初の女の子)を育てて思ったのだが、赤ん坊はものすごいエネルギーをもって生まれてくる。そして、親が赤ん坊を育てるのではなく、赤ん坊は両親を母親や父親として育てる。一般の親は、赤ん坊を育てていると勝手に思っているのだが、実はそれは逆で赤ん坊が女性親を母親にし,男性親を父親に育てて行くのが育児の過程だと言ってもいい。子供は必要なものは全部持って生まれてくる。

とにかく○子はこの時から急激に回復した。エネルギーを一杯もらって、痛みも大幅に減り、体に力も入り、表情も全然違う。このあとでのトイレに行くときは、一回目とは全然違って楽勝だった。良い刺激になるとは思っていたがこうも影響があるものかとは思っていなかった。このあと疲れたのか、夕食まで熟睡し,元気に夕ご飯を食べ、テレビの「ミリオネア」を見たのは言うまでもない。僕は、テレビのあとで家に戻ってきてこれを書いている。

 

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